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最高裁判所第二小法廷 昭和53年(オ)241号 判決

上告人

三栄建材工業株式会社

右代表者

岡本理男

右訴訟代理人

伊藤壽朗

被上告人

右代表者法務大臣

奥野誠亮

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人伊藤壽朗の上告理由について

原審が適法に確定した事実関係のもとにおいて、郵便職員の争議行為に起因する本件書留郵便物の配達の遅延により上告人に生じた損害につき、郵便法第六章の諸規定に照らし被上告人の上告人に対する損害賠償責任を否定すべきものとした原審の判断は相当であり、その過程に所論の違法はない。論旨は、違憲をいう部分を含め、その実質はひつきよう独自の見解に基づいて原判決の法令違背を主張するものにすぎず、採用することができない。

よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(宮﨑梧一 栗本一夫 木下忠良 塚本重頼 鹽野宜慶)

上告代理人伊藤壽朗の上告理由

一、原判決には、判決に影響を及ぼすこと明きらかな、法令解釈の誤りがある。

(一) 原判決は、東京葛飾郵便局の局員その他の全逓信労組の組合員らが昭和四九年一一月二三日から同年同月二九日にかけて行つた争議行為と上告人の被つた損害との間の因果関係を肯定したうえで、次のような解釈論を展開している。即ち、

郵便事業は、被上告人が公行政作用として運営する事業であり、前記争議に参加した葛飾局の局員その他の全逓信労組の組合員が被上告人の職員であることはいうをまたないから、葛飾局々員の違法な争議行為によつて郵便物が遅配され、それによつて損害を被つたと主張する上告人の請求に対しては、民法七一五条に優先して国家賠償法一条の適用を論議すべきこととなる筋合である。そして、被上告人の同法一条による責任については、民法以外の他の法律に別段の定めがあるときは、その定めるところによることとなるところ(同法五条)、郵便法六章(六八条ないし七五条)が、右にいう別段の定めに該ると解すべきである。けだし、右郵便法の定めは、郵便業務に関する被上告人の賠償責任の制限の定めを中心とするものであつて、郵便制度が大量の郵便物をできるだけ迅速に、またなるべく安い料金で送付することによつて公共の福祉を増進しようとするものであること(同法一条参照)、および、同法六八条がしかじかの場合に「限り」国が賠償責任を負う旨規定していることに鑑みると、郵便法六章の定めによる国の責任の制限は、その責任の発生原因につき、債務不履行責任と被用者の不法行為による責任との間に形式的な区別を設けていないものと解するのが相当であるからである。国家賠償法は、日本国憲法一七条に基き定められたものであるが、同条にいう「法律の定めるところにより」とは、法律により国民が国に対し公務員の不法行為を理由として国家賠償を求めうる限度および手続を定めることを許したものと解すべきであるから、国家賠償法と郵便法との関係についても、以上のように解して憲法に抵触することにはならない。そうであれば郵便物の差出人でもなく、またその承諾を得た受取人でもない上告人が、被上告人職員の争議行為による郵便物の遅配を原因として被上告人に損害の賠償を求めることを許容する旨の規定は、郵便法上にこれを見出すことができないから、上告人の右の請求はその余の点につき論ずるまでもなく許されないものと解するほかはない(郵便法は、速達の制度についてさえ、他の郵便物に対する優先取扱を保障するに止まり―郵便法六〇条―、一定期間内における配達までも保障していない)。因に郵便法六章の規定が、国の債務不履行責任と不法行為責任との間に形式的な区別を設けていないものと解すべきことは前示のとおりであるけれども、およそ例外のない法規範は存しないとの格言のとおり、責任制限の対象につき全く例外を許さない趣旨であると解すべきではないであろう。その解釈については、憲法一七条制定の趣旨は、十分に尊重されなければならない。しかしながら、前記認定の規模態様における被上告人職員の争議行為と上告人の損害との関係については、これをもつて右のような意味における特別の例外の場合に当ると解すべき根拠に乏しいものといわなければならない。

(二) 上告人の見解は次のとおりである。

なるほど、郵便法は国が損害賠償責任を負うべき場合を「書留とした郵便物の全部又は一部を亡失し、又はき損したとき」及び「引換金を取り立てないで代金引換とした郵便物を交付したとき」の二つの場合に限定している。そして、損害賠償額についても特別の規定を設けており、また、「損害賠償の請求をすることができる者は、当該郵便物の差出人又はその承諾を得た受取人」であるとしている。しかし、問題は郵便法と民法あるいは国家賠償法等との関係である。即ち、郵便業務に関する国の損害賠償義務についてはもつぱら郵便法の規定のみの適用があり従つて民法の不法行為の規定あるいは国家賠償法一条の規定は全然その適用の余地がないのであるか否かである。民法あるいは国家賠償法一条によれば国が損害賠償責任を負担すべき場合でも郵便法が認めていない限り国は責任を負う必要は無いのか。

郵便法第六九条により免責される場合を除き、国は不可抗力の場合も郵便法の規定する範囲内で損害賠償すべきことは疑いない。この点で、郵便法は民法あるいは国家賠償法一条の規定に対して特別規定としての性格を有している。一方、郵便局職員の故意または過失に基づく国の不法行為責任についてはどうであろうか。

結論を先に言えば、軽過失の場合は疑問があるが、少なくとも故意もしくは重過失による不法行為責任については郵便法は民法あるいは国家賠償法一条に対する特別規定ではあり得ない。郵便法は郵便局職員が故意に国民に損害を与える場合をも想定して制定されているものではないのである。故に、故意もしくは重過失にもとづく場合の国の不法行為責任については民法あるいは国家賠償法一条が適用さるべきである。

その理由とするところは左のとおりである。即ち、

1 故意もしくは重過失の場合にも民法あるいは国家賠償法一条の適用がないものとすると、例えば、郵便職員が普通郵便物を窃取・横領したりあるいは配達の労を省くために普通郵便物を焼却しても国は何ら責任を負わないでよい等という健全な国民の法感情から全く遊離した奇妙な結論に導かれる。

2 憲法第一七条は、「何人も、公務員の不法行為により、損害を受けたときは、法律の定めるところにより、国又は公共団体に、その賠償を求めることができる。」と定めている。「何人も」「その賠償」を求めることができるのである。即ち、「法律の定めるところにより」とは、国の国民に対して負担する損害賠償責任を法律により実体法的に具体化しあるいは手続法的に明確化すべきことを国会に対して義務づけているものであつて、合理的根拠がある場合を除き、国の免責を規定する法律の制定を許容する趣旨ではないのである。しからば、郵便法を、郵便職員が故意に国民に損害を与える場合も想定して制定されているものと解釈することは、憲法に抵触した解釈であるおそれが強い。

3 故意もしくは重過失の場合にも国の責任を制限すべしとする合理的根拠が無い。なるほど、郵便事業は、日常的継続的に行なわれ且つ短時日のうちに大量の事務処理を要求されるものではあるが、そのことと損害賠償制度との間には何ら直接的な関係はない。日常的継続的に大量の事務を処理している企業は他にも少なくないのであるから、これら民間企業の使用者責任との関係から考えても、右のようなことは国の責任を制限すべしとする合理的根拠たり得ない。また、低料金の維持という目標(郵便法一条)も国の責任を制限する合理的根拠とはなり得ない。けだし、不法行為、特に故意若しくは重過失に基づくそれ、による損害賠償が問題となるような場合は極めて例外的なわずかな場合にすぎない(それが例外的でなかつたら、それこそ問題である)はずだからである。

4 郵便業務は国の独占事業であり、事業の独占を担保するために刑罰(三年以下の懲役又は一〇万円以下の罰金)の定めまであるのであるから、右事業の主である国はその運営にあたりいやしくも国民の信を裏切ることを許るされないのであつて、法律を解釈するについては右のことを念頭に置くべきである。

二、原判決には理由不備の違法がある。

すなわち、原判決は、郵便法の適用につき例外的な事例が存し得ることを認めた上で、しかし本件事案はそのような例外的な事例には該当しないとしている。

しかるに、原判決は、例外的な事例となり得る基準を全く判示していないのである。

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